宗家 祝嶺 制献

玄制流の流名
 老子の「無は天地の始めに名づけ、有は万物の母に名づく。・・・(略)この両者は同出にして名を異にする。

 同じくこれを玄という。玄のまた玄は、衆妙の門なり」を出典としたものである。

(宗家 祝嶺 制献)

玄制流の歴史
玄制流空手道宗家 祝嶺制献 最高師範は大正14年(1925年)沖縄県名護市に生まれる。

昭和8年(1933年)佐渡山安恒先生、12年(1937年)岸本祖孝先生に師事し空手を学ぶ。
 
恩師である岸本老師は空手の技をことごとくマスターし奥義を体認・体得していた。
 老師の鍛練法はある意味で、「一技一事主義」に徹底し、一つの技を完全に修得するまで
 次の技は絶対に教えない。師の鍛練法は、前進後退の移動訓練は田んぼの細い畦道で
 蹴りの鍛錬は膝までめり込む田んぼの中で、突きは竹輪、受けは丸太棒でやらされた。

 20メートルほどの畦道を移動する間に、棒で4、5回突き落とされるが、足もとを乱すその
 棒をうまく処理し畦を渡りきるまでに2年位かかった。受けの鍛錬では、暗闇から棒が飛び
 出てくる。棒はほとんど見えないが、老師が吐き出す呼吸の音と、影絵のように動くゼスチャー
 をみとって、勘で受けられるようにする。棒は腹部から胸部、そして顔面を突いてくるが一手も
 仕損じると、次の突き技は教えてもらえなかった。田んぼの中の蹴りは力とコツがいる。
 晴れ衣を着た同僚を、目標から1メートル位離れた位置に立たせ、泥をかけないように蹴る。
 それには足の抜き出し方があり、そのコツが引き足に通ずる。泥のはねぐあいで蹴りの良し
 悪しが解ってしまうので、試案にくれたこともあったが、鍛錬をくり返して2ヶ月ぐらいやって
 いると、足の抜き出し方がきまり一滴の泥もはねなくなった。

 このような鍛練法で油汗がでるほど鍛えられたが、岸本老師自身の鍛練はもっと苛酷で
 原始的な方法であったらしい。木の枝にぶら下がって手・足・胴体を棒で叩かせ、そして
 筋肉を鍛える。ヤモリのように木の幹を上から下へはいおり、握力を鍛える。杖先で草を
 切り呼吸と技の一致をはかる鍛練など、まさに原始人さながらの鍛練をくりかえし青・壮年
 時代を過ごしたとのことであった。

 老師は口癖のように、「訓練は、つぎの訓練と関連して一歩前進し、技はつぎの技に関連
 させて一歩向上する。だから、つぎの技にありつくようにいまの訓練、一事に徹底しなけれ
 ばならない。」といっていた。

 祝嶺は青年時代には<空中六段蹴り><天井張付き>など相当高度な技倆を修得していた。
 第二次世界大戦末期(1945年)、海軍特攻隊「菊水隊」に配属され、沖縄近海にて作戦中
 の敵艦に特殊潜航艇「蚊竜」をもって出撃の内命を受けていた。しかし、基本的には直線的
 な動きしかとれないという弱点があった。訓練に訓練を重ね、逆境に向かう戦中の体験と幼い
 頃から空手家としての修練を続けていた祝嶺の「攻防」への試案と探究、そして実践への試行
 錯誤が「玄制流」創始への原点となった。

 戦後の訪れと共に再び「生きる」機を与えられた祝嶺は、郷土沖縄の地で山中に籠り、又
 ある時は無人島での鍛練に励み、大自然との共生と挑戦の中から「海老蹴り」、「斜上蹴り」
 「半月当て」といった独特の技を生み出した。

軍隊での経験とこれら独自の修練法により編み出した創作術技の一部を昭和23年(1948年)
に静岡県伊東市で公開。昭和28年(1953年)には新空手の名称「玄制流空手道」を公表した。

 同年陸上自衛隊立川駐屯地に玄制流空手道部を創設。昭和29年(1954年)、東京神田共立
 講堂で日本テレビ主催でおこなわれた、空手師範らによる空手道演武大会では「公相君(大)」
 の形と<瓦35枚割り>をテレビ生中継で披露。

昭和31年(1956年)大日本武徳会から空手道八段を授与される。
 玄制流創始からおよそ10年間、日本全国を駆け巡り、自衛隊、各種大学、企業等での指導環境を整
 えた。
 そして教授するかたわら、空手に新技術と新指導法を導入するために研鑽をつづけた。

 沖縄伝来の古い空手には、技法面で優れた点が多かったが、全体的に段階をへて系統だ
 てて作られていないところに、訓練や指導上の難点があった。

 玄制流はこれらの欠点を思いきって改善することを意図し、独自の<天位の形><地位の形>
 <人位の形><三才の形>等を創作して指導をおこない新風を吹き込んだ。玄制流の形の
 なかには、手足の攻防技だけでなく、胴体を操作したあとに施す新術技が導入され、従来の
 空手では見られなかった術技の展開がおこなわれた。

玄制流は胴体の操作を<体軸の変化>として、一次元・二次元に限定された空手の狭い動きから、
三次元の運動空間での攻防にも通用する技として完成された。

玄制流空手道宗家最高師範・祝嶺制献が平成13年11月26日に突然他界され

76年のその生涯のすべてを玄制流空手、そして躰道の創造と発展に捧げられました。

 亡くなられた祝嶺先生の偉業を称えるとともに、私達は未来に向かって、玄制流の

技と理念を責任をもって伝えていかなければならないと強く思っております。

 初代宗家の妻・和子様が二代目宗家祝嶺制献を継承なされ、2002年 「玄制流」

「GENSEI-RYU」が商標登録されました。                 合掌

戻る